学童で起こるいじめの心理と、その対応策をお教えします

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コロナウィルス感染防止に伴う緊急事態宣言が発令されたのは割と記憶に新しいと思います。

前代未聞のウィルス対策になり、日本政府も四苦八苦しながらあの手この手で対応していましたね。

そんな中でまず驚いたのは全ての学校を休校にするとの対策には誰もが戸惑ったと思います。

そして、ウィルス感染を避ける為のガイドラインにある「三密」にならない自己防衛を遵守する事になりましたね。

問題となるのは、学校に行けなくなり行き場を失った子供達です。

結局、両親が共働きであったりすると子供を家で丸1日留守番させられないので学童に頼るしかないのが現状なのでした。

そんな学童で起こる可能性の高いトラブルについて今回考えたいと思います。

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学童内のいじめ発生のメカニズム

そして、本題となる「学童内のいじめ」についてはどんな背景が隠れているのかを考察すると、案外シンプルな理由がありました。

まず、小さな頃から学童へ通っている子供はどうしても両親との触れ合い(コミュニケーション)が希薄となっている事が多いのです。

なので、善悪の判断が緩い子供が多くなってしまう事も事実となっています。

元々悪い子はいませんが、逆に小さな内から善悪の判断がしっかり出来る子供もいないのです。

主に学童は縦割りとなっているので、最上級生の四年生から一年生までグループとなり課題や制作などを実施しています。

この中の狭いコミュニティで子供らしいいじめから陰湿なものまで幅広くあります。

例えば最上級生が下級生に「4年のいう事は、絶対だから逆らっちゃいけないんだ」と言います。

それは、下へと伝達され「2年と1年は3年生に逆らっちゃいけないんだ」となります。

そして、最後に残った1年生がターゲットになってしまうのです。

そんな事実を学童に入ったばかりの1年生は、分かりません。

むしろ「そんなルールなんだ」 と納得してしまいがちです。

そして、4年生の指図で3年生や2年生が実行犯となり、1年生をからかったりする所から始まり、やがていじめへとエスカレートしてしまうのです。

いじめの現場はこんな風になっている

さて、どんな内容のいじめがあるのかを簡単に書き出してみましたが、エスカレートするとこのあとどうなってしまうのか凄い不安になってしまいます。

・同学年同士でキスをさせようとする。
・陰部を見せるよう強要させる。
・問題に答えられなければ、つねる、殴る。
・片付けを強要する。

その命令に逆らうと、その後の遊びや仲間に入れてもらえなかったり、無視されたりする罰ゲームがある場合もあるそうです。

悪質なのは、1年生が分からないままルールに則り命令されるがままに動いてしまうと言うことです。

身体的な苦痛ではないので、泣いたりすることも少ないですし、指導員にもわかりづらい事が多いです。

しかし、身体的な痛みはないにしろ、ストレスは確実に被害者に残ってしまいますね。

下級生にしては主従関係を一方的に結ばれ、分からない事が多いピュアな感情を逆手にとった悪質な行為なので早目の対策が必要です。

子供を守る対策の流れの一例

子供の異変に気がついたらまずは逃げ道を作ってあげることをやってあげて下さい。

内容として、指導員の責任者に連絡し、子供からの情報と家での状況を説明して、事実関係は後ほどに、まずは逃げ道を作ってもらうようお願いします。

具体的には班の変更や送迎時間の変更の依頼となります。

学童のルールがあり変更できない場合は、班で集まる時間帯にそばに付いていてもらうなど、親も協力しないといけません。

そして、学童の指導員にも事実確認を行って下さい。

指導員が非協力的な場合は、ターゲットにされているの1年生の担任へ報告します。

担任の先生から加害者の担任へ連絡をしてもらい指導を行う流れとなっています。

こちらは中々通らない事もありますが参考として、指導員に不満がある場合についてです。

その学童を管轄している役所の福祉課に相談という方法もありますが、クレームが来たと学童に報告すること位しか役所にできる事はありません。

やはり当事者に近い担任の先生へ連絡するのが一番です。

学童の歴史について

そもそも、学童とは一体どんなもので歴史はどれくらいあるのか知りませんよね。

ちょっと簡単に見ていきたいと思います。

まず学童保育の必要性は昭和初期から言われていました。

戦時中は父親が戦地に行き、母親が働かなければならなくなった家庭の為という位置づけの施策がありました。

戦後は1948年に大阪の今川学園がセツルメント活動(社会福祉事業)として学童保育を行ったのが歴史的な始まりといわれています。

そして、学童保育が最初に全国的に広まるきっかけになったのは昭和30年代後半からのようです。

ちょうど高度成長期で、産業構造が変わり、働く人々が増えた時期でした。

さらに、保育の必要性が出てきて全国的に保育の整備が進んでいきました。

「ポストの数ほど保育所を」という言葉が生まれたのもこの時期だったのです。

現代に於いては、保育所を卒園した後の子どもの保育ということで「学童保育」の必要が言われ始めました。

余談ですが「かぎっ子」という言葉が生まれたのがこの時期ですので知ってる方も多いですよね。

学童のいじめについてのまとめ

いかがでしたか、案外大人の目が届きにくい学童と言うコミュニティの中で発生するいじめですが両親が普段と違う子供の異変に気付くのが大切となります。

子供のSOSサインも「爪を噛む」や「親に暴言を言う」などの今までに無かった変化をしますので、家に一緒に居る時間は家族の時間を大切にしてあげて下さいね。

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